ニトリ社長で、現在代表取締役会長の似鳥昭雄さん。
その経歴もさることながら、自宅もびっくり仰天なんだとか!
そんな大金持ちの似鳥昭雄さんには息子がいますが、きっと散財していると思いませんか?
そんなニトリの元社長、似鳥昭雄さんについて調査してみました。
【ニトリ創業者「豪快なだけじゃない」劇的半生】 似鳥昭雄氏は、どこまでも戦略家で情熱家だ : https://t.co/XkdnXzkrWb #東洋経済オンライン pic.twitter.com/DXoImH8tOR
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) February 2, 2016
目次
ニトリ社長だった似鳥昭雄の壮絶な経歴とプロフィール
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんは、1944年に生まれました。
終戦後は札幌で過ごし1962年に北海道工業高等学校を卒業後、札幌短期大学を卒号、そのあと北海学園に編入しています。
北海学園卒業後は広告会社に勤めるも、営業成績が悪くw半年で解雇。
仕方なく(?)父親の経営する会社で働きますが、そこも火事を起こしてクビに・・・。
どうやら何をやっても上手くいかなかったようです。
そして1967年23歳のとき「似鳥家具店」を創業しました。
なぜ家具屋?
理由は簡単、近くに同業者がいなかったからなんだそうです(笑)
現在の「ニトリ」になったのは1972年、ロサンゼルスのセミナーに参加したことで人生観が一変、家具のチェーン店を目指すようになったそうです。
・ニトリ社長だった似鳥昭雄は韓国生まれ?
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんのお父さんは、北海道石狩の出身でコンクリート製造販売業をしていました。
母親も日本人なので、昭雄さんもれっきとした日本人。
1935年に父親が樺太に移住し、昭雄さんが生まれた時は韓国にいたそうです。
なので生まれたのは韓国ですが、韓国人ではありません。
・ニトリ社長だった似鳥昭雄のいじめと虐待
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんが3歳の頃、終戦になり北海道に移り住みましたが、とても貧しかったそうです。
そんな昭雄さんの母親はヤミ米屋(許可を得ずに米の販売をする)をやっていて、それが同級生にバレてしまったことでいじめにあってしまいます。
そのいじめは小学校から高校に行っても続き、あるときは米を配達中に自電車ごと川に突き落とされ、それを母親に報告すると「米を拾ってこい」と言われる始末(笑)
昭雄さんは強くなるためにボクシングを習っていたそうです。
そしてその母親は、というと自分のことは棚に上げて(笑)子供には厳格に躾けました。
母親はすぐに手が出るタイプでw殴られるのは日常茶飯、ときには味噌汁をかけられたりもしたそうです(笑) これはたしかに虐待ですよね。
父親は殴るのは月に1度くらいでしたが、その1回が気絶するくらい殴るんだそうです。
虐待とはいいますが、その時代はどの家庭もそんなものだったと思います。いや、似鳥家はちょっと酷すぎるかもしれませんが。。。・
厳格に育てられたはずなのに、受験ではカンニングをしようとしたり、ビリヤードでは相手をだまして稼いだりと、結構やりたい放題の青年期。
学費を稼ぐためでしたが、取り立て屋のバイトをしてナイフで刺されたこともあるとか・・・。
昭雄さんの自由は発想と行動力は、この頃に培われたものなのかもしれませんね。
・ニトリ社長だった似鳥昭雄の訴訟とは
ニトリ社長だった似鳥昭雄さん、なんと訴訟相手は実の母親である似鳥みつ子さん!
ニトリ株はもともと昭雄さんの父親の名義でしたが、その父親が亡くなったことで昭雄さんが相続。
ところがそれに待ったをかけたのが母親のみつ子さんと妹弟でした。
遺産分割協議書が偽造だと訴訟を起こされ、総額200億円という遺産を巡って裁判となりますが、昭雄さんが勝訴。
またみつ子さんが控訴し、その後和解となり億単位が母親側にも渡りますが、その後昭雄さんは母親には会ってもらえなかったそうです。
なんだかかわいそうですよね。 和解したなら仲直りできそうなものですが、やはりかなりキツイ性格なのでしょうね、お母さん。
このようにして身内で起きた訴訟問題は終わりました。
・ニトリ社長だった似鳥昭雄の妻はあげまんだった
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんが会社を立ち上げたときは、忙しい上に赤字ばかりで栄養失調になったそうです。
見かねた両親が見合いを勧め、結局8回目のお見合いで百代さんと出会います。
一度は百代さんに断わられますが、昭雄さんの両親が説得し、ようやく結婚を承諾してもらえたそうです。
なんと押しの強いご両親!
このとき似鳥昭雄さん24歳、奥様となった百代さんは20歳でした。
昭雄さんの両親が見込んだだけあり、百代さんは愛想も良く客受けも良かったそうです。
おかげでお店を切り盛りしてもらえたので、昭雄さんは配達や仕入れなどができるようになり、業績がみるみる上がって行ったといいます。
まさにこれこそがアゲマン!
こればかりはご両親のおかげかもしれませんね。
・ニトリ社長だった似鳥昭雄さんの自宅がすごかった
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんには東京と北海道に家があるそうです。
東京の家は高級タワーマンションで、なんと都内を一望できる場所にあるとか!
4LDKの間取りで家具は当然ニトリの製品で統一されているそうです。
理由はもちろん、自分で品質を確かめたいから。
そして北海道の方は札幌の閑静な住宅街にあるみたいで、かなり広いお家のようです。
ニトリ社長だった似鳥昭雄の息子の名前や散財とは
ニトリ社長の似鳥昭雄さんには息子と娘がいますが、やはりニトリで働いているのでしょうか?
・ニトリ社長だった似鳥昭雄の家族と名前
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんは4人家族、奥様と子供が二人、息子と娘がいます。
お二人とも成人していて、息子さんはなんとニトリではなく大手印刷会社に勤務しているそうです。
奥様の名前が百代さんということは公表されていますが、残念ながら子供は私人ということで公表されていません。
でもとても珍しい名字なので、近くにいる人はすぐにわかってしまいそうですよね。
息子さんもお父さんに似ていたら、きっと人懐っこいかわいらしい顔をしているんじゃないでしょうか。
・ニトリ社長だった似鳥昭雄の息子と娘はニトリ勤務?
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんの娘さんは現在ニトリで働いているそうです。
息子さんは?というと、私情が入るから息子は会社に入れない、というお考えなんだそうです!
ちょっとびっくりしちゃいますよね〜。
じゃあ娘なら私情は入らないのか?とツッコミたくなりますが(笑)やはり息子となると後継者として見てしまいがちなので、それを避けるためなのでしょうか。
普通は大企業といえども一族がずっと継いでいるケースもありますよね。
確かにそれによっていろいろな問題が起こることもあるので、やっぱり自分が作った会社を大切にしたいという気持ちが大きいのかもしれません。
娘さんの交際相手がニトリ勤務だった場合、ニトリを辞めてもらうと公言するくらい、子供たちには絶対にニトリを継がせる意思のないニトリ会長。
その証拠に現在は白井俊之さんが代表取締役に就いています。
札幌出身で古くからニトリに勤務し、似鳥昭雄さんの右腕として会社を引っ張ってきた人物で、2016年に社長になりました。
・ニトリ社長だった似鳥昭雄の息子の散財ってナニ???
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんはとにかく超のつくお金持ち!
ということは息子は贅沢の限りを尽くして育った???
以前どこかの製紙会社の御曹司が、カジノで散財し会社のお金を使っちゃった、と話題となったことをふと思い出しました。
きっとニトリの御曹司もそうに違いない! と調べてみましたがそのような事実はでてきませんでした。
似鳥昭雄さんご自身がかなりご苦労されて育っているので、自分の子供にも甘やかすことなく育てたのかもしれませんね。
ニトリ社長だった似鳥昭雄の名言集とは
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんは、経営者として数々の心に響く名言を残しています。
その一部を少しご紹介しましょう。
とにかく人のやらないことをやれというのがうちの方針です。他社のいい商品を真似するのも悪くないですけれど、目指すのはこの世にないものを作ることです。
確かにニトリには目新しい商品も並んでいますよね。 しかも「お値段以上♪」で。
お客様に「儲かったな」と思っていただけなければ、また店に来てもらうことはできない。
さすがに儲かったとまでは思いませんが(笑)ちょっと得したなって思うことは、わたしもあります。
挑戦しようと思うから、必死になる。自分の力でどうにもならないから、誰かの力を借りようとする。
以前テレビでご本人が仰っていましたが、すぐに色々な人物とコミュニケーションを自らとるそうです。
最初は断られても、何度もアタックするんだとか(笑)
でも本当に人柄がいいので仲良くなるのもあっという間で、人脈はかなり広いそうです。
私は劣等感の塊でその代表だから、努力しかない。私ができるのは、人は育ててやれば誰でもできるようになるのだということ。
確かに壮絶な少年期を過ごしてきた似鳥昭雄さんだからこそ、言える言葉でしょうね。
こんな上司がいたら人生は素晴らしいものになるのかもしれません。
当然自分の努力もMAX必要になりますが・・・。
ニトリ社長だった似鳥昭雄の年収と総資産価値
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんの2018年の年収は、1億2000万円だといわれています。
そして気になる総資産は5030億円!
これは日本長者番付で9位になります。
想像もつかない資産額ですよね〜。
でも昭雄さんはとても面倒見のいい人で、特に地元の北海道ではいろいろなスポンサーになっています。
Jリーグのコンサドーレ札幌には高額を投じていたり、今は取り壊されてしまいましたが、昔の厚生年金ホールも存続のためにスポンサーになっていたりと、北海道のためにいろいろと尽力されています。
多分ですが、頼まれると断れないタイプなんじゃないかと思います。
またニトリ社長だった似鳥昭雄の経歴が載っている書籍が超面白いんです。
”『運は創るもの』私の履歴書”という書籍ですが、日経新聞で連載された「私の履歴書」が好評だったため、加筆されて出版されたものです。
興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。
ニトリ社長の経歴や自宅が凄い!?息子の散財とは???のまとめ
ニトリ社長だった似鳥昭雄さんの経歴は、悲惨という意味で凄かったですね(笑)
でも現在成功されて北海道と東京にある自宅は、一般人には全く手の届かない豪邸です。
そんな御曹司である息子はどんな散財をした? と興味津々で調べましたがそんな事実はありませんでした。
というか息子さんはニトリにすら就職していません!
親族には継がせない、という似鳥昭雄さんのポリシーにより現在は別の方が社長になっています。
似鳥昭雄さんは、テレビで見てもものすごい人、というオーラを全く見せない(笑)とっても気のいいおじさんといった印象です。
社長然としたきっちりした社長よりも、このような社長らしくない経営者がこれからの経済を引っ張っていくのかもしれませんね。